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最近全くレガシーできてない。感染メタで自宅待機が板。

いわゆる「アド・グレイス」と呼ばれるデッキ、その名前についての話
ちょっと前には帳、最近ではタッサの神託者や、インバーターの採用等々、
ちまちまと新カードを取り込んで進化しているモダンのコンボデッキですね。

アドはad nauseam, グレイスはangel’s grace.
2つのコンボパーツを併せて「アド・グレイス」と呼ばれています。
この「アド・グレイス」という表記、管見の限り日本で、ないし日本語のコミュニティでのみ用いられるように思われます。
例えばhttps://rugdelver.diarynote.jp/201712172110015104/
こちらの記事及び、記事内で参照されている日本語記事における記述はいずれも「アド・グレイス」となっています。対して同記事内で参照されている英語記事においては、いずれも"ad nauseam"ないし"ad nauseam deck"という表記が用いられています。

このような呼称の違いはどうして生じるのでしょうか?
ここでは言葉の構成に注目して、「アド・グレイス」という呼称に批判的な立場から検討を試みます。

①ad nauseam ってなに?
まず、ad nauseam とはそもそもどういう意味なのでしょうか?

if you say or do something ad nauseam, you say or do it so often that it
becomes annoying for other people.

ロングマン現代英英辞典では上記のように説明されています。要するに、「人が嫌になるくらい繰り返す」という意味です。
この表現は、そもそもラテン語由来の言い回しになります。
手元の『ギリシア・ラテン引用語辞典』(岩波書店)にはこうあります。

 ad nauseam. 嘔吐を催すまで;世人が聞き飽くまで. (p.15) 

ともかく、このラテン語表現が、そのまま慣用表現として用いられているわけですね。mtg においても、仏伊西のラテン系3言語ではいずれもad nauseamというカード名がそのまま採用されています。

では、ad nauseam という表現は、言語的にどういう構成になっているのでしょうか?


②ad とは、nauseamとは

まず、なぜ言語的な構成に言及するのか。
それは、この観点からみると「アド・グレイス」という呼称に関して、
(1)「アド」を、ad nauseam の略称として利用すること自体の是非、
(2)文法上「アド」に「グレイス」という語は接続し得ないということ、
この2つの問題が浮かび上がってくるからです。

ad nauseamは見たまま、ad とnauseam という2つの語句から構成されています。ここで確認しておきたい言語的な構成というのは、このad とnauseam という2つの語句が、言葉を構成する上でどういうパーツなのか、ということです。要は、名詞だとか、動詞だとか、そういう話を見ていきます。

まずad
これはラテン語の前置詞です。前置詞というのは、名詞の前に置かれて、その名詞が文中で果たす役割、持つ関係を表わす品詞です。to youと言えば、youは「宛先」なんだと分かる。そういう機能を持つ品詞です。

研究社の羅和辞典には、前置詞 ad の意味として
...の方へ、...に向かって、...に至るまで
などが示されています。

次に nauseam
これは、nauseaという名詞の対格です。
先の羅和辞典には以下のような意味が掲載されています。
船酔い、吐き気、むかつき、嫌悪

英語にもnauseaという単語があり、同じ意味で用いられています。
「対格」というのは聞き慣れない言葉かもしれません。
ラテン語には「格」という概念があります。
○○は、○○の、○○に、みたいな文中での語の役割に応じて、ラテン語では語句の綴りが変わってしまうという特徴があります。英語にも、i,my,meとかありますよね。
nauseaというのは主格、○○は、に該当しています。辞書に載っているのはこの形です。nauseamは、このnauseaの対格、○○をに該当します。
(便宜上○○は、とか、○○を、とか言ってますが、実際訳す時にそのまま訳しても文意が通らないことはままあります。)

ともかく以上のように、ad とは前置詞、nauseamとは名詞の対格です。


③2つの問題点の検討
まず、ad nauseamという表現がこのように、前置詞と名詞の組み合わせからなるということから考えるに、「アド」という略称は果たして適切なのでしょうか?日本語で言えば、「白日の下に」を「下に」と略しているようなもので、これだけでは何がなんだかわかりませんね。「アド・ノージアム」というカタカナ語として見れば、「アド」という略称に違和感を感じないかもしれませんが、実際に言語的な構成をみると、「アド」と言ってもなんだかよく分からない、ということになってしまうわけです。

もう一つの問題は、ad という前置詞に定められた文法的なルールにあります。
『古典ラテン語文典』(白水社)によれば

 (a) 前置詞 ad 「のそばに;へ」は対格を,...支配する.(p.39)

とあります。「対格を支配する」とは?
これは、「ad という前置詞の後に続く語は、必ず対格になりますよ」ということを意味しています。つまり、ad nausea(主格)という組み合わせ方は、文法的に許されていません。adの後には、nauseam(対格)という形以外はあり得ないという文法上のルールがあるわけです。これは、ad nauseamという表現に限らず、ad という前置詞に続くあらゆる語に適用されるルールです。

ここで問題になるのは「アド・グレイス」という呼称の場合、「アド」はラテン語の前置詞adであるのに対して、「グレイス」とはangel’s graceの"grace"、つまり英語の名詞だということです。「アド・グレイス」という呼称は、ラテン語と英語を合体させた表現になっているわけですね。しかし、英語では、ほとんどの語句に格変化が存在しません。graceも例外ではなく、当然対格も存在しません。
しかし上述の通り、ad は「対格を支配する」前置詞です。ad の後は必ず対格になる、というルールがあります。そうなると「アド・グレイス」という言い方は、ルールに反しているということになります。まあ異なる言語に属する語を無理やり合体させてるわけなので、仕方ない話と言えばそうですね。

もし「アド・グレイス」的な表現を成立させたいならば、少なくともgraceを対格にしなければなりません。grace はmtg では「嗜み」と訳されていますが、まあ「恵み」とか「恩寵」といった意味ですね。語源としてはラテン語のgratiaが該当します(googleで任意の語+etymologyと検索すると、簡単に語源を調べることができます。)。魅力、愛情、恵み、恩寵といった意味の名詞です。gratiaの対格はgratiamです。
そうすると、「アド・グレイス」という表現を成立させるなら、
"ad gratiam"と記述すると適切ということになります。

④結論
このように、「アド・グレイス」という表現には2つの問題点が指摘されます。
1つは、ad nauseamという語を「アド」と略すことの是非を巡る問題でした。ad nauseamという、前置詞と名詞からなるラテン語由来の慣用表現は、どちらか一方の構成要素だけでは意味を為しません。それゆえ多くの英語記事では冗長ながら、"ad nauseam deck"という呼称が採用されているわけです。
もう1つは、「アド」と「グレイス」という語句が接続し得ないという問題でした。ラテン語における ad は「対格を支配する」前置詞なので、後にgraceを続ける場合、対格に変化させなければなりません。例えばad gratiamといった表記ならば成立するでしょう。

ということで、日本語以外のコミュニティで「アド・グレイスad grace」という表現が用いられない理由を、言語的な観点から考えてみました。言語専門の人間ではないので素人考察です。楽しんでいただけたら幸いです。

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